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2014年02月24日

国民健康保険と食中毒体験

2014年1月1日から、今まで公務員の健康保険を管理しているASKES(ASURANSI KESEHATAN、健康保険)は、BPJS KESEHATAN(Badan Penyelenggara Jaminan Sosial Kesehatan 社会健康保険社、国営会社)に変わりました。国家公務員になってこの10年間、入院した経験もなく、あまり健康保健証を利用したことはありませんでした。風邪の時に、薬屋さんで売っている薬を飲んでもなかなか治らない場合に、近くのクリニックへ行って、検査してもらい薬を処方してもらうときに使うぐらいでした。しかも、健康保健証を見せれば全部無料です。そして嬉しいことは、外国人の妻にもインドネシア人の夫とともに健康保険に入れることです。(制約がいろいろあり、どこの病院でも良いというものではありませんが、軽い風邪などぐらいのためには良いです)。
ところで、昨夜の8時頃、夕飯を済ませた後、わくわくジャパンで放送された「あまちゃん」を見ていると、突然身体に異変がありました。全身真っ赤になり、唇が厚くなり、動悸がして頭もくらくらになりました。それに気付いた僕は、家内に言いました。家内もその様子を見て驚いたので、すぐタクシーを呼びました。タクシーを待っている間、慌てて着替え、入院するかもしれないので、着替えを鞄に用意しました。タクシーが来ると私たちはすぐに乗り込み、シドアルジョ県立病院へ向かいました。家からもっと近い病院があるのですが、私たちの健康保健証は、国立系の病院しか、利用できないので仕方なくその県立病院へ行きました。そこで、私たちは思いがけない悲しい出来事に遭遇しました。
ICUの受付に着くと、すぐさま健康保険証と身分証明書を提示し、もらった書類を検査室に提出しました。すぐに横になってください、と言われたので、ずらりと並んだ9番ベッドに横になりました。家内が事務的な手続きをやる間、先生が検査しに来ました。やはり、原因は夕飯に食べた魚が持っている菌じゃないかなあ。家内がネットで、調べたら魚に元からついていたヒスタミン菌が原因だと騒いでいました。五分後、看護師が注射をしに来てくれて、注射してから30分待ちましょうと言われました。何の注射ですか、と聞いたら、「普通の注射ですよ」と答えてくれました。普通の注射??何のためか説明はありません。
我慢して様子を見ることにして長い時間待つことになりました。その間、家内はそばにいてくれました。私たちの後、何人かの新しい患者が来ました。先生の姿は、一人か二人。緑色の服を着ている看護師は何人かいたが、やはり人数的にはちょっと足りないでしょう。周りを見渡すと、髪の毛の白いお爺さんと、付き添いのその10代ぐらいの娘さん(中学生の年齢ぐらいでしょうか)がいました。お爺さんさんは、横になり胸が苦しそうでした。なぜかわかりませんが、そばにいた家内はそのお爺さんと一緒にいた娘さんのところへ行き、お爺さんに水を飲ませる手伝いをしました。はあ、なるほどね。やさしいですね。ここでは、知らない人でも、声をすぐかけられます。家内も「Mbak、(ジャワ語のお姉さん)」と呼ばれて、すぐ色んな人と会話が始まりました。幸いに、家内はインドネシア語の日常会話ぐらいは支障はないので安心しました。注射をしてもらってから二時間以上、診察してくれる先生も看護師さんも来ないため、僕はただ周りの様子をずっと観察していました。
娘さんが、お爺さんのそばを離れたとき、(多分トイレへ行った時)、お爺さんは水を飲みたがっている様子だったので、家内は水を飲ませました。なんてせつない光景なんだ、と思いました。それから30分程過ぎたころだったか、突然お爺さんは苦しそうに痙攣をお越し、とっさに家内は看護師を呼びました。数分後、お爺さんは動かなくなりました。看護師さんは、多分お医者さんの指示を受けてから、心肺蘇生法を何度も行いました。叔父さんは動かないままです。娘さんは泣き始めました。看護師は「泣かないでくれ、お父さんの耳に何か話かけて、コーランの言葉でも聞かせて」と言い出しました。娘さんも看護師の指示に従いましたがお爺さんは動かないままです。数秒後、先生が来てお爺さんの瞳孔を確かめて、その決断をしました。彼女が外へ行って誰かに電話をかけた時、おじいさんは空いた、ただカーテンで仕切っただけのスペースに移動させられました。なんとせつない夜だろうか。数分後、僕のところに別の先生が来て、受付に来るように指示されました。ええ?僕の診察もう終わったのか??注射一本だけか??と不思議に思いました。食中毒と蕁麻疹ですから、すぐに対応してくれなかったんだと思いました。それよりも、先の亡くなったお爺さん。対応が遅かったじゃないですか。だから助けられなかったでしょう。おそらく、そのお爺さんは、病院に入ってからたくさん医者を待つ、患者が寝ているベッドが並ぶ片隅で、ただ酸素マスクをつけられた状態で何時間もそこにいたでしょう。その間の看護は、何も見ていない。痙攣して白目をむいたと家内が看護師に訴えても、そのお爺さんの寝ている姿勢を仰向けに直しただけであった。その直後、お爺さんは息を引き取ってしまったのです。
事務的な手続きをしてから、薬をもらい、そして先ほどの娘さんに挨拶してから家内と私は何とも言えないせつない気持ちで病院を後にしました。この国の医療関係は本当にまだまだです。お金のない人たちはもっと大変です。定期的に病院の健康診断もできない、そして重い病いに陥ったとき、また早期に治療すれば感知する病気でも進行してしまったらもう・・・。僕は思いました。今、政府レベルでは国民の医療制度を改善する努力をしていますが、我々一般市民は何ができるでしょう。食べ物、栄養管理など、自分の健康を自ら考えた食生活を個人個人でも行わなければならないと強く思います。僕は、教育を通じて、若い人たちのライフ・スタイルや人間関係の意識などを改善したいです。もちろん、それらをやりながら、上に座っている人たちのやることを見守らなければなりません。最後に、亡くなったおじいさんに心よりご冥福に祈ります。天国で安らかに眠れますように。




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Posted by MENKOIINDONESIA at 17:12Comments(0)スラバヤ

2014年02月23日

新チャンネルWakuWaku Japanがスタート!

およそ3ヶ月前から、家内は「来年、新チャンネルWakuWaku Japanがインドネシアに入るそうですよ。インドネシア国内ニュースで、それについてなんかないの?」と大騒ぎでした。「なんだべえ、おらは全然興味ねえ」と僕は思いました。正直、仕事と勉強で忙しいのでニュース以外はあまりテレビを見ません。テレビを見ても、決まった番組しか見ませんでした。METRO TV、TV ONEのニュース番組とNHKのニュース、日曜日の大河ドラマのみです。それ以外は、二階の書斎に引きこもります。実際に、国内ではWakuWaku Japanについてのニュースはありませんでした。そして、今日は、その番組の放送開始日だというので、テレビのチャンネルを一個ずつ押してみると、ピンポン!168番に、新チャンネルのWakuWaku Japanの宣伝が出ているのを見つけてちょっと嬉しくなりました。「あまちゃん」再放送や「AKB48ね、もうす」や「地方の観光」などの面白そうな番組の宣伝が流れていました。これで、家内がいつ始まるのかと騒がなくなります。(笑)僕には役に立つ番組があるかどうかまだわからないけれど、NHKのニュースと大河ドラマを視聴するのは変わらないと思います。それよりも、この放送によってインドネシア人が日本のことを知る良いきっかけが広がればいいと思います。最近は、日本の番組の中でもインドネシアの話題がかなり取り上げられるようになったようで、お互いの国のことを知る機会だだいぶ増えたと思います。



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Posted by MENKOIINDONESIA at 13:45Comments(0)スラバヤ

2014年02月23日

在スラバヤ日本総領事の公邸に招かれた!

昨日の金曜日(2月25日)、久々に家内と大学へ行ってきました。家内は講義教材の準備などのために、朝五時前に起きて、近くの駅から汽車に乗ってグベン駅まで行き、駅から大学(キャンパスB)まで、徒歩で15分程かかりました。
突然午前中に、PERSADA JATIM(東ジャワ州支部日本元インドネシア人留学生会)から懇親会の招待状が届きました。総領事の公邸で、午後6時半に行われるということです。思い切って家内に「一緒に行きましょう」と誘いました。うちの日本研究学科から、教員のインドネシア人3名、日本人は2名プラス家内1名で行くことになりました。うちの大学から、総領事の公邸までそんなに遠くありません。TAスタッフによると、自転車で20分程です。
午後6時15分、みんなと一緒にタクシーに乗り、公邸に向かいました。公邸の隣にはSUPER INDOのスーパーがあり、門の前に警備員が何人かいました。公邸に入ると、すぐ受付があり係の人は、お客さんの招待状をチェックし、来客名簿に自分たちの名前、所属と住所を書きました。今回の懇親会は、日本での留学経験のあるインドネシア留学生の会なので、インドネシア人のお客さんの方が日本人より多かったです(2対1ぐらいでしょう)。7時になると開会式が始まりました。東ジャワ州支部長のセルマンさんの後、野村総領事がスピーチをしました。野村総領事と初めてお目にかかったのは、東ジャワ州のスピーチコンテストが本大学で行われた昨年の5月でした。総領事はインドネシア大学社会政治学部の出身で、長い間インドネシアに赴任されているので、インドネシア語がインドネシア人より流暢です。他方、支部長のシェルマンさんは、本大学の歯学部の教員で、短期間の日本研修をしたことがあるだけで日本語はほとんどできません。僕は、PERSADA JATIM の会員になって10年経ちましたが、会員のデータベース、ニュースレター発信や独自プログラムなどはなく、「どんな活動をしてるのだろう」と思いました。今日の懇親会で、最も印象に残ったのは、昔の同級生との再開とコーラスのパフォーマンスでした。ラグラグ会の「TANAH AIRKU(我が祖国)」と「千の風」は今でも頭の中に響いています。そして、MAWAR会の「PAYUNG FANTASI(ファンタジーの傘)」は、歌いながら踊るパフォーマンスでとてもチャーミングでした。8時半頃、家内と一緒にタクシーに乗ってシドアルジョ市へ帰りました。お招きいただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。




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Posted by MENKOIINDONESIA at 13:34Comments(0)スラバヤ

2014年02月21日

リスマ市長とスラバヤの未来について

近日、スラバヤの政治界にある衝撃が走りました。それは、現役のスラバヤ市長リスマ氏(Risma)がメトロテレビ局のインタービューで、「あらゆるところから圧力を受けたから辞任したい」と述べたことです。リスマ氏は、2010年9月からスラバヤ市長としてその任務に就いています。一般の官僚から、キャリアを積んできたリスマ氏はPDIP政党の支持を受け、今の市長になりました。しかし、1年後、当時市議長を務めていたウイスヌ氏(PDIP政党)は、広告税の件でリスマ氏を訴え、辞任するように薦めました。なぜなら、市長が議会の了解を得ずにある特定の対象に対し、広告税の税率を上げたからです。さらに、議会でスラバヤ市内に高速道路開発の提案が持ち上がっていたが、これに対し、市長が「必要はない」と断ったことで、議会と市長の関係はますます悪化したのです。副市長のポストは、1年間ほど空席であったが、突然議長が副市長になったということも市長は違和感を感じたといいます。それで、リスマ市長は辞任したというです。このような状態を受けて、スラバヤ市民は、「リスマ市長を応援しよう」という運動が始まりました。そのためか、昨日の朝刊(2月20日)によると、リスマ市長は辞任しないと報道され安心しました。最近、様々な問題が発生する中、ジョコウイ氏(ジャカルタ特別州知事)、カミル氏(バンドン市長)、そしてリスマ氏のように、自らほうきを持って、ゴミを掃除する政治家がインドネシアの社会に出ることにより、自ら国民一人一人も自分の祖国の発展のために考えるべき時期に来ていると思います


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Posted by MENKOIINDONESIA at 20:02Comments(0)スラバヤ

2014年02月20日

行方不明日本人ダイバーたち

最近、様々な自然災害のニュースで騒いでいる中、2月15日、家内が「バリ島のヌサ・プニダ沖で7名日本人が流されたよ」と大騒ぎでした。「へ?どうやって?プロなのに、しかもインストラクターもダイバーたちもみんなプロの日本人ダイバーなのに?」。いろいろな分からないことを質問しました。結局、気になって毎日のようにその事件についてインターネット上の記事を読みました。昨日の18日という時点で、5名が無事救出され、1名遺体で発見、残り一名はまだ確認できていないことが分かりました。僕は、ダイビングの趣味はありませんが、その海の中の素晴らしさに魅了されるのはよくわかります。そして、そこには危険が伴うことも。自分がもし、彼女らのような事態に陥ったらどうだろう。そう思うと気になって毎日、彼女らの捜索活動のニュースを探してしまった。生と死の間。人間より遥かな力を持つ「神」こそ、その分かれ目をご存じであると感じた。しかし、そこにはまずどう行動すべきか、人間自身の判断がある。これから私もよく考えてから行動するべきと思った。亡くなった方に、心よりご冥福を祈ります。


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Posted by MENKOIINDONESIA at 10:16Comments(0)スラバヤ

2014年02月20日

「報道写真」より「援助」を

昨日、コンパス誌で面白い「社説」がありました。「BUKAN PUBLIKASI TAPI BANTUAN報道写真より援助を」というタイトルです。確かに、2月18日付コンパス誌のヘッドラインには、クディリ県プンチュ市のある村の交差点で「ORA BUTUH DIFOTO BUTUH BANTUAN(ジャワ語) 写真より援助を」という写真が掲載されていた。


そしてその前の日、別の新聞紙に(SURYA,2月17日)同じような写真が掲載されていた。これは報道に対する風刺であり、住民の気持ちが良く分かりました。最近、撮影可能な携帯電話などが普及し、インドネシア人が簡単に日々の出来事を写真に撮ったり、録画したりすることは驚くべきことではなく、彼らはそれを自分のSNSに頻繁にアップロードしています(大統領夫人も好きらしい)。その行動をすべて批判するつもりはありませんが、果たして苦しむ人々の写真を社会に訴える意味以外で、つまり“自分の楽しみ”にすることはいかがなものでしょうか。(「わあ~、大変。かわいそう。」といった感情を助長する意味の“楽しみ”です)。どうでしょう。今この国では、多くの人々が「病気」なのでしょうか。


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Posted by MENKOIINDONESIA at 09:51Comments(0)スラバヤ

2014年02月20日

学生と社会への貢献

ケルード山が噴火してから、多くの住民たちが避難生活を送っているという報道が、連日テレビ、新聞、ラジオ等で報道されています。ちょうど、大学前期の休み期間ためうちの大学の学生たちはあまり学校に来ません。我々教員は、毎日学校へ行き仕事がありますが、学生らは何をしているのでしょう?そう思ったのですが、やはり彼らも各々忙しい様子です。(笑)ケルード山の噴火のため、多くの人々が援助を求める中、本校学部の学生会がSNSを利用し、募金活動やボランティア活動を呼び掛けています。彼らは、街頭募金のため道端や交差点などに立ち、道行く人々に寄付を呼び掛けています。昨日、学校からグベン駅へ向かう途中、寄付箱とメラ・プティー(国旗)を持ちながら街頭募金活動を行っている姿を目にしました。学生たちが、社会問題に関心を持つことは大変喜ばしいことであり、私は帰り道、若い頃の自分の学生生活を思い出していました。



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Posted by MENKOIINDONESIA at 09:25Comments(0)スラバヤ

2014年02月18日

灰色の朝(ケルード山噴火しました)

クルッド山(1,731m、東ジャワ州、クディリ県)は、2014年2月13日(木曜日)午後22時50分に噴火しました。ジャワ島でムラピ山の次として最も活火山として有名なこの山はスラバヤ市から120㎞程の距離だが、噴煙をあげたあと、砂礫が西部ジャワのバンドン市まで落ちてきたそうです。ニュースによると、クルード山の周辺に住んでいる住民たちの避難者は6万人も越えているそうです。14日朝、火山から120㎞の地点にあるスラバヤ市まで、火山灰が市内中に舞い込んでいました。日本では大雪に困らせる一方、我々は火山灰に降り注がれています。
kazanbai1



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Posted by MENKOIINDONESIA at 10:54Comments(0)スラバヤ