2014年02月20日
「報道写真」より「援助」を
昨日、コンパス誌で面白い「社説」がありました。「BUKAN PUBLIKASI TAPI BANTUAN報道写真より援助を」というタイトルです。確かに、2月18日付コンパス誌のヘッドラインには、クディリ県プンチュ市のある村の交差点で「ORA BUTUH DIFOTO BUTUH BANTUAN(ジャワ語) 写真より援助を」という写真が掲載されていた。
そしてその前の日、別の新聞紙に(SURYA,2月17日)同じような写真が掲載されていた。これは報道に対する風刺であり、住民の気持ちが良く分かりました。最近、撮影可能な携帯電話などが普及し、インドネシア人が簡単に日々の出来事を写真に撮ったり、録画したりすることは驚くべきことではなく、彼らはそれを自分のSNSに頻繁にアップロードしています(大統領夫人も好きらしい)。その行動をすべて批判するつもりはありませんが、果たして苦しむ人々の写真を社会に訴える意味以外で、つまり“自分の楽しみ”にすることはいかがなものでしょうか。(「わあ~、大変。かわいそう。」といった感情を助長する意味の“楽しみ”です)。どうでしょう。今この国では、多くの人々が「病気」なのでしょうか。

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そしてその前の日、別の新聞紙に(SURYA,2月17日)同じような写真が掲載されていた。これは報道に対する風刺であり、住民の気持ちが良く分かりました。最近、撮影可能な携帯電話などが普及し、インドネシア人が簡単に日々の出来事を写真に撮ったり、録画したりすることは驚くべきことではなく、彼らはそれを自分のSNSに頻繁にアップロードしています(大統領夫人も好きらしい)。その行動をすべて批判するつもりはありませんが、果たして苦しむ人々の写真を社会に訴える意味以外で、つまり“自分の楽しみ”にすることはいかがなものでしょうか。(「わあ~、大変。かわいそう。」といった感情を助長する意味の“楽しみ”です)。どうでしょう。今この国では、多くの人々が「病気」なのでしょうか。

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Posted by MENKOIINDONESIA at 09:51│Comments(0)
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