2009年12月05日
佐藤春夫もジャワへ

未明のクラガン浜に在りて夢心地に立てりき
ジャワの海の日の出を見んと
皇軍のここに上りし
クラガンの常椰子のかげ
貝がらの異形を撫でて
故郷の思いははろばろ
『奉公詩集』千歳書房、1944
佐藤春夫は1892年4月9日、和歌山県に生まれた。和歌山県立新宮中学校卒業後、上京して生田長江に師事、与謝野寛の新詩社に入る。旧制第一高等学校の入試に臨んだが試験を中途で放棄し、慶應義塾大学文学部予科に進む(のち中退)。春夫は、東京の朝日新聞の臨時記者として、また陸軍嘱託としてインドネシアで任務に当たった。1943年10月東南アジアへと向う。彼の乗船した船はマニラ、シンガポールおよびマラッカを経由した。11月中旬、ジャカルタへ到着。同月下旬にスラバヤへと向かう。その後、バリ島へと向かうも、再びスラバヤ、マラン、ジャカルタと戻り、1944年5月下旬帰国した。
Sato Haruo (1892-1964), penyair terkenal Jepang pernah ke Jawa dan Bali dalam rangka menunaikan tugas kenegaraan sebagai anggota Badan Propaganda Pemerintahan Militer Jepang pada kurun waktu 1943-1944. Kutipan puisi di atas menggambarkan pujiannya terhadap keindahan Pantai Kragan, Jawa Tengah serta keagungan Pasukan Kekaisaran Jepang di Indonesia. Puisi tersebut dibuat pada awal tahun 1944.

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Posted by MENKOIINDONESIA at 17:52│Comments(0)
│日本人の「インドネシア観」