2009年12月04日

南国(インドネシア)への(初)認識

南国(インドネシア)への(初)認識



日本の古い史料の中から、次のような文書が出てきました。
「巴達維亜ニ至ル。一ニ交留吧ト称ス。瓜哇ノ西岸ノ一大埔頭ニソ。南洋第一ノ都トス。」(木村鉄太、『航米記』、1860)
(試訳: バタビアにいる。ジャワの西岸にある大きな町である。南洋の一番大きな都ともいえる)


木村鉄太は1828年、高瀬(熊本)生まれ、32歳の年(1860)に幕府の遣米使節従者として世界一周したが、帰路、船内で病に冒され、2年後の文久2年(1862)、34歳で急逝した。鉄太は、米国からの帰路でバタビア港に寄り、バタビアのことを以上のように語っている。

南国(インドネシア)への(初)認識



オランダの占領下時代バタビア(ジャカルタ)にもお城がありました。

Pandangan Orang Jepang Pertama Kali Terhadap Negeri-negeri Selatan (Indonesia)

"Batavia. Berada di pantai barat Jawa dan merupakan kota yang besar. Di antara negeri-negeri Selatan merupakan ibukota yang paling besar"

Kalimat diatas ditulis oleh Kimura Tetta (Lahir di Kumamoto, 1828), ketika dalam perjalanannya sebagai utusan Shogun Tokugawa pulang dari Amerika Serikat dan singgah di Jawa pada tahun 1860.


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